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【草刈取締役最高投資責任者へのインタビュー】

左:取締役最高投資責任者 草刈 貴弘、右:取締役管理部長 水上 成憲

 

さわかみ投信では本年6月から人材採用を強化しております。その一環として、今回は当社の最高投資責任者の草刈貴弘にインタビューを行いました。草刈自身の経験そして当社で働く魅力について、人材採用担当の私、水上との対談形式でご紹介いたします。なお草刈は舞台俳優からビジネスの世界へ転じ、当社入社後はお客さまの書類管理業務からキャリアをスタート、アナリスト、ファンドマネージャーそして最高投資責任者へ駆け上った人物です。実は私と草刈とは20年来の友人でもあるのです。

 

社会人になるまで


水上(以下 水) いやぁ、まさかこんな日が来るとは思いませんでした。

草刈(以下 草) そうだよね。

 あえて貴弘さんと呼ばせていただきます。今回はこのインタビューを通して、さわかみ投信で働く魅力を貴弘さんに語り尽くしてもらいたいと思っています。まずは、ご自身が社会人になるまでについてお聞かせください。

 2007年に一般企業に就職するまでは、モデルや舞台俳優をやりながらアルバイトで新宿にある一流ホテルでウェイターをしていました。

 そこで我々は出会ったのですよね。私も大学4年間をそこで過ごしたのですが、本当に楽しい思い出しかないです。今思えば社会人になるためのエッセンスの全てがあの場所にあった気がします。

 土日なんかは結婚式が2回転するから、準備のための準備をして各々が最高のサービスをテーブルで行って、披露宴が終わり後片付けをしてまた準備と…段取りが悪いと生き残っていけなかった。段取り・準備・メモという仕事の基礎を学んだのはあの場所だった。

 そうそう。貴弘さんは段取りの悪い人たちには上下関係なしで厳しかったですよね。あの頃に比べると今なんて仏ですよ。

 社員はそう思ってないと思うけど(笑)。20代から60代まで個性豊かな人たちがいて、いい意味で切磋琢磨できる環境だった。仲間意識とライバル意識が共存していたような。

 そうでしたね。アルバイトとはいえ仕事は真剣そのもの、終わって皆で飲みに行く時は年齢関係なしに最高の仲間って感じでしたね。おかげでバイト代の全てが飲み代に消えていったわけですが…。

 そして思えば水上がバイト中にジョージ・ソロスを教えてくれたことがきっかけで金融業界につながるんだよな。

 その話を後々聞いた時は驚きましたよ。今、僕自身も当社で働いているということを考えると、ほんの些細な触れ合いであっても後の人生につながっていくのだなぁと。ご縁というのを今日ほど感じている日はこれまでなかったですね。

 

俳優の道を諦め、金融業界を志した動機について


 俳優を諦めた時の心境ってどうだったんですか?

 25歳までに売れなかったらやめようと思っていたので、2006年の舞台を最後にしようと決めていたんだよね。それと2004年に靖国神社で特攻隊員の役で舞台にあがり、「先人たちの犠牲の上で今の豊かな日本があるのか!」という感覚を持って、俳優として先人たちの想いをつなぐというようには思わなかったのも大きな要因かな。

 私も靖国神社の舞台は見に行きましたからね。いまだにその時の舞台俳優の方々と貴弘さんが密な人間関係を築いている姿を拝見すると、相当な思い入れがあったんでしょうね。金融業界を志した動機はどのようなものだったのですか?

 エリーカ・プロジェクトという電気自動車を作るプロジェクトを知ったことが大きなきっかけかな。電気自動車を作る清水教授と金融出身の吉田教授(現在エリーパワー会長)の奮闘の話が頭に残っていてね。この話を知った時にジョージ・ソロスのことが急にリンクしてきて、「金融って面白いかも、大きいことができるかも」って思ったのが始まりかな。

 

前職での経験


 それから就職活動ってことですが、正直大変だったんじゃないですか?

 そりゃ、大変だった。50社以上は受けたんじゃないかな。ほぼ全てが書類か一次面接で不採用。

 よくへこたれなかったですね。

 モデルや俳優のオーディションって落ちるのが当たり前だったから、特に気にならなかったな。

 あっ、そうか。売れてなかったからよく落ちてたんですね!

 うるさいよ。

 そういった中、SBIフィナンシャルショップ(現SBIマネープラザ)で働くことになった。

 未経験OK、頑張ったら年収1,000万円以上、何よりも金融に携われるということで応募したんだ。だけど実際のところはスタートアップの第一期採用ということで、ビジネスを自分たちで創出していく必要があり、商材がない中で金融商品を売るはずだったのに最初はハウスクリーニングの営業だよ(笑)。

 当社の最高投資責任者が下積み時代にはハウスクリーニングを売ってたのですか!?どんな感じの仕事だったんですか?

 怒涛の営業だったな。テレアポ1日200件とか、繁華街の大通りに面した店舗全てに飛び込み営業したり。

 今の姿からは想像がつかない…。

 ベンチャー企業ってそんなもんでしょ。ボーナスなんてあるわけない。コロナ禍でもしっかりと働けてお給料をもらえるということが、どれだけ恵まれているか。

 しかし過酷すぎますね。

 だから最終的にドンドン人が辞めていって3人になっちゃった。野武士のような3人の中の1人が今ウチにいる蒲原(管理部所属)だよ。

 貴弘さんと過去に一緒に働いたことがある人物が私を含めて、我が社にもう一人いるというのはなかなかないことですよね。

 同僚っていう薄い関係性ではなく、何かこう仕事を通じて熱くなっていく関係性なのかな。どんな仕事でも仲間意識を持って働いてきたから、一旦その場所を離れても、引き寄せ合うことになっているのかもしれないな。

 同感です。自分も貴弘さんがいなければ転職してなかったと思うので…責任取ってください。

 そこは自己責任です(笑)。

 

当社との出会い、転職にあたって決意したこと


 当社に転職したきっかけを教えてください。

 前職で最終的には住宅ローンを取り扱うことになり、初めて自分が希望していた金融に触れることになった。2007年当時、都内はマンションバブルが発生しつつあり、ノルマをこなし手数料を稼いでいる時、言い知れない違和感があったんだ。

 というと?

 手数料ビジネスは、お客さんの総数が増えない限り業界全体のパイの奪い合いのゼロサムマーケットであり、0を1にするとか、1を10にするようなビジネスではなかったと気づいた。そんな中、新聞の折り込みチラシに掲載されていたセミナーに何となく参加してみたら、たまたまゲストが澤上社長(現会長)だったんだよね。その時にこの人が言っていることはまともだなと思ったのよ。そして会長の話とエリーカ・プロジェクトの話がつながり、さわかみ投信だったら金融が将来につながるかもと思えたんだ。

 ご自身の中で大きなパラダイムシフトが起こったんですね。

 会長が“大人の責任”という言葉を語っていた。子供の頃、大人がだらしないから日本はダメなのだと思っていたんだよね。だけど今は自分もその大人と同じになりつつあるということに気づき、いてもたってもいられなくて挑戦したいと思って飛び込んだんだ。

 “大人の責任”というのは、私も日々自問して生きています。

 普通なら面接で正解を探してしまうと思うけど、自分は何もないからストレートにぶつかっていっただけ。「やっぱ日本を変えなきゃ、このままじゃいかん、とにかく挑戦したい」。ただただ、それだけを伝えたんだ。

 

日本全国の働く人たちに向けて


 日本全国で働く全ての人たちに向けてメッセージをお願いします。

 “働きがい”と“生きがい”が一致することを見つける努力をした方がいい。

 簡単におっしゃいますけど、それを実際にやるのは難しいのでは?

 理想論だとか、能力、学歴、コネ等々、恵まれているからと理由をつける人がいるがそれは違う。とにかくがむしゃらに「俺ってどうなりたいんだっけ? どうしたいんだっけ? 大人の責任って何だっけ?」というのをひたすら探し続けていた。諦めないでそれをし続けてほしい。己というものは何なのか問い続けてほしい。なぜ働くのか? なぜ出会えたのか? その時どのようなことを話したのか? それを自分はどう捉えたのか? そのように問い続けてフラットな状態で自分自身を俯瞰して何度も見てみることが大切なんだと思う。

 問い続けた結果、“働きがい”と“生きがい”が一致した。

 できるかどうかではなくて、やりたいかどうか。最終的には己がどうしたいかということだ。スラムダンクの有名なフレーズ「諦めたらそこで試合終了」と一緒かなと。

 だからこそ、短期間で最高投資責任者まで上り詰めた。

 これはたまたまですから。地位や名誉、ステータスなんてどうでもいい。日本を変えたのがこいつだってなったらそれが成果。地位のために仕事はできないよ。

 

互いの背中を預け合い信頼し合って働くこと


 貴弘さんは“互いの背中を預け合う”とよく表現されます。

 これは、水上が教えてくれたことだよ。

 えっ!? 何で?

 何かを成し遂げるには、自分一人の力では決してできない。機を捉えて動こうとしても本当の仲間がいないのであれば動くことはできない。素晴らしい企業で安定した地位を捨ててまで当社に駆けつけてくれた水上だからこそ、自分は後ろを振り返らずに背中を預けて前に進むことができるんだ。そのような信頼関係を持った仲間が増えれば増えるほど、当社は強くなり日本の未来を変えることができるんだよ。

 私はただ単に外から貴弘さんのことを眺めていて、とんでもないスピードで人間として成長している姿に憧れに似た感覚を持ったのと、その裏側では人知れずとてつもない苦労をしているだろうなと思うようになり、いてもたってもいられなく何か手伝いたいという思いから当社に参加したんです。

 そうやって来てくれたからこそ、俺は後ろを振り返らずにがむしゃらに前に進める。青春って大人になったら来ないんだろうなと思ってたけどね。

 

家族とどう過ごすか


 働くこと≒生きることだと、一昔前でいうところの家庭を顧みない仕事人間って感じもしますけど、そのあたりどうなんですか?

 家族に聞いてみなければわからないけど、家族と過ごす時間は大切にしているよ。なにごとも経験だから、子供たちはいろいろなところに連れて行って感じて欲しいなと思って。アウトドアなんてやらなかった自分が、今では率先してキャンプに行くようになったしね。遊ぶときは思いっきり遊ぶよ。

 

最後に


 長時間のインタビューありがとうございました。最後に何か伝えたいことはありますか?

 よく転職して環境に変化を起こし、自分の生活を変えようとする人がいると思う。環境が変わることも重要だけど、本当に大切なのは自分が変わること。環境を変えても自分が変わらなければ意味はないと思う。繰り返しになるけど、心の底から本当に自分は何をしたいのか問い続けて欲しい。日本人の一人ひとりがこの問いに真剣に向き合い、それぞれの解を見つけることができた時、日本という国は生まれ変わっていると思う。少なくとも私は、日本の未来に変化を起こすため、死ぬまで己に問いを続けていくだろう。

 



 

取締役最高投資責任者 草刈 貴弘

2001年3月 東洋大学工学部建築学科卒業。2008年10月 SBIフィナンシャルショップ株式会社を経て当社入社。2010年4月、業務管理部を経て運用調査部に異動。2010年11月、ファンドマネージャーに就任。2013年1月 最高投資責任者 兼 ファンドマネージャーに就任。2015年6月 取締役最高投資責任者 兼 ファンドマネージャーに就任。

取締役管理部長 水上 成憲

2004年3月 明治大学商学部卒業。2004年4月 日本証券金融㈱入社。同社にて、制度信用取引の決済に必要な資金・株券の貸付業務に携わる傍ら、2009年には財務省理財局、2011年には日証金信託銀行㈱へ出向し、幅広く金融関連業務に携わり、2019年7月当社入社。2020年6月 直販部を経て管理部長に就任。2020年11月 取締役管理部長に就任。

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