生命や健康に害を与える物質を毒という。その定義だと、普段私たちが口にする塩も砂糖も過剰摂取すれば毒となり、逆に毒と指定される物質も耐性のある生き物にとっては毒ではなくなる。今回、ヒアリ騒動をきっかけに毒について考えるに至った。当初、同騒動を外来種による生態系バランス崩壊への懸念だと推察したが、どうやら実態は人間への直接的な毒の被害を心配しているようだ。あれほど小さい体に、稀に人間を死に至らしめるほどの毒を持つヒアリ。毒とは何だろう? なぜ生物は毒を持つのだろう? 毒を基点に取り留めもないことを考えてみた。

化学兵器や環境汚染などを除く自然の毒は、生物が生きていく中で獲得したものである。餌をとるための攻撃手段や、外敵からの自衛手段として毒を自ら生成する生物もいれば、他の生き物の毒をため込む生物も存在する。一口に毒といっても物質、効能、強さはそれぞれ違うのだが、おおよそそれら全ては種の保存を目的としていると思われる。

人間も毒を生成する。物質ではないが、その毒はじわじわと相手を苦しめさらに蔓延するという厄介なものだ。使用行為は“吐く”、対象は原則人間、能動的な攻撃型と分類できよう。人は他人に毒を吐かれると気分が悪くなり、毎日続けられると本当に病気になってしまう。組織体において毒が回ると陰気な雰囲気となり能率も落ちよう。しかしなぜ人間は毒を吐くのか? 毒の生成保持が種の保存を目的としているならば、人間の吐く毒は本来攻撃のためではなく保身のためと考え得る。一つに、毒を吐く人間は弱く、相手を直接攻撃できないが故に周囲より毒によって腐らせる戦略をとる。二つに、単にストレスを解放する手段として八つ当たり的に毒を吐く。いじめ問題なども人間毒だろう。

毒を捨てたければ牙を持てばよい。ストレスは他者の毒をため込むという性質に近いと思われるが、やはり牙さえ持っていればそれが耐性となり無毒化できるかもしれない。牙とは、現代を生き抜く能力なり守ってくれる強い家族・友人なり様々だが、誰にでも公平に持てる牙の一つが長期投資だろう。長期投資によって経済的自立への自信を持てれば、どれほど強いことか。

長期投資では株主として、優れた経営者を雇うことができ、皆の代わりに世界で戦ってくれる。何処に住んでいようとも、または能力、学歴、ハンデキャップに関わりなく公平で、しかも投資信託なら1万円程度から積み立てられる。その1万円が世界を駆け巡り、成長して返ってくることを期待できるのだ。

ストレスを強調する現代社会、働き方改革が示すような保護策など理解できないわけでもない。しかし個々人が現代病となっている“人間毒”を受け流すだけの牙=自信を持つことができれば、制度に頼らずとも世の中は明るく前向きに、そして皆が自立して堂々と生きていけるはずだ。