重耳

「重耳」

「重耳」
宮城谷 昌光 著

講談社文庫中国の古典というか歴史小説なるものには昔から興味があって、いろいろ読んできた。その中には、おなじみの三国志や水滸伝もある。ある頃から、ふと中国古典に登場してくる高邁な人物たちと最近の中国とのギャップに、疑問が湧きだした。折しも、宮城谷さんの中国歴史小説なるものが次々と出版されたので、新刊を待ち構えるようにして読み漁った。ますます問題意識は高まっていった。古代でも1億人前後の人間を抱えていたといわれる中国では、一部にすごい人物もいれば、大多数の人足輩と同然の人たちもいる。その風景は、古代でも現代でも変わらない。そう、歴史書ではことさら英雄豪傑の生き様を描くことになる。一方、一般庶民に対する記述はどうしても少なくなるのは仕方ない。ということは昔の中国でも、現代と似たような庶民の喧騒や私利私欲まみれの生活があったのだろう。そういった一般大衆というか庶民の集団をまとめあげるのが、英雄の英雄たる所似か。なるほどなと、判ったような判らないような納得をしてきた。

ということは、共産党独裁の現代中国は一体なんなのだろう?一個の傑出した人物による支配ではなく、共産党という組織による支配システムでもって、すべてを押し切る強権政治がまかり通っている。これは、悠久の中国史における一時のあだ花なのか?
長期投資とは関係ないかもしれないが、歴史の一事象という観点からは興味しんしんである。