「新渡戸稲造はなぜ『武士道』を書いたのか」

新渡戸稲造はなぜ『武士道』を書いたのか
草原 克豪 著
PHP新書

最近はとみに英語を学べとか、英語をつかえなかったら世界で通用しないとかいわれるようになってきた。たしかに英語で不自由しないというのは、国際人の第一歩といえよう。
しかし、単に英語をしゃべるだけの英語屋に終始しては、真の国際人にほど遠い。なにを話すかの中身がなかったら、コミュニケーションどころではない。また、伝えようとする事柄の背景にある自分の思想や哲学がなかったら、根なし草のコスモポリタンぐらいに扱われるだけだ。
ヨーロッパに長くいて、それを痛感させられた。日本人として、どれだけ日本の歴史や文化伝統といったものを自分の考えとして述べられるか。それが、仕事でも日々の生活でも、いろいろな局面で常識のように問われる。
これはマズイぞということで、猛烈に勉強した。最初に手に取ったのが、新渡戸稲造の「武士道」であった。明治のあの頃に、どうしてこれだけの書を英文で執筆できたのか、もう驚きの一言だった。その教養の広さ深さ、そして英語力、どれひとつとっても、すごい日本人がいたものだと深い感銘を覚えた40数年前が懐かしい。
その後、折にふれて「武士道」とは縁があって、その延長線で本書に出会えた。文字通り国際人の先駆者である新渡戸稲造の凄さを、あらためて学ばせてもらった。
本書にもあるが、新渡戸稲造は自分の考えを堂々と述べている。それが、どう世の批評を浴びようが、自分の言葉には責任をもつ。それが真の国際人としての心構えである。