行く年来る年

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 「時代が変わった」と大人は言う。当たり前だ。企業も経済も、そして我が国を取り巻く世界情勢は刻々と変わっているのだ。しかしここで示す変化とは、通信革命を代表とする技術革新などに限ったことではなかろう。礼節や常識、働き方など人の営みの点で「時代が変わった」と大人たちが溢しているのだ。例えば一世代前、夜中まで働き会社に貢献することが美学であった。もしくは、そうせざるを得ない環境があった。しかし現在はワークライフバランス、効率的な仕事とプライベートの充実が是とされている。ワークイズライフである私も、一世代前の大人として時代遅れと自認すべきか。
 経済を思慮するにあたり過去に学ぶことは重要である。遡ってみると平成時代は江戸時代と共通点が多い。資源を大切にする循環社会の概念は今や常識だが、江戸時代では下駄を直して履き、履きつぶしたら薪とし、その炭まで売るなど徹底ぶりは平成以上だ。昨今はシェアリングが台頭し非所有の考え方が生まれつつあるが、長屋で密集暮らしの江戸の町人は一間を居間、食卓、寝室と用途別に使い分け不要な家具を原則持たない。必要なら隣近所から借りたのだ。隣近所と言えば、密集地ゆえ声が筒抜けのため常にお互い様という考え方が生まれる。形は違うが、現代の互助精神に富んだ社会活動は似たようなものである。さらに市民ファンドについても、以前には講が存在していた。江戸時代は各々が身分毎に収支ギリギリの生活をしていたからこそ、皆が互助や融通の心を持てた。現在でも共生が表に出てきており、出世欲や野心が隠れてしまっている。そして面白いことに、江戸時代は芸能に対し祝儀の意味も込め大枚をはたく。モノではなくコトに使い始めた平成。豊かさの価値尺度が江戸時代に戻ったようだ。
 幕末の動乱から開国、戦争時代、そして昭和末期までの益荒男(ますらお)時代は何処に行ったのだろう? 思えば徳川泰平以前は国盗りに明け暮れていたわけだ。そう考えると、平成が江戸のような手弱女(たおやめ)時代に似たのではなく、時代は軸を中心に行き来していることがわかる。つまり振子のようなものだ。株式相場もまた振子現象と言えよう。軸に対し常に上下に振れ過ぎる様は摩擦係数がないに等しく感じる。さらには文化さえも同様だ。文化を大衆化された人の本質的現象と仮定するならば、超長期では、状況に応じて一虚一実が繰り返されているだけである。
 しからば軸とは何なのだろうか? 株価においては間違いなく企業価値であり、文化や時代においては人の営みの本質そのものか。そうであれば我々は軸の指す方向に従えばよく、目先の状況変化や相場の小波など大したことではない。以上、新年に漠然と思う。
代表取締役社長 澤上 龍