Sawakami Asset Management Inc.

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 ウイルスの収束を待たずして株式相場は想定外の強さを見せているが、経済の先行き不安の中で違和感を覚える投資家は少なくないのではないか。しかし、この不可思議な相場はコロナに始まったわけではない。今世紀以前から続いているのだ。

米国不動産市場の延命とウォール街の儲けたい一心で仕組み金融が横行した10余年前のサブプライム・リーマンショックは、結果的にドミノ倒しのようなバブル崩壊を招いた。その後、各国は金融・経済を支えるべく協調的出動をし、軌道修正はあるも総じて市場流動性は現在まで高い水準に保たれてきた。実際、“百年に一度の金融危機”以来、経済は巨額な債務で支えられている。なんと世界の債務残高は10年間(2018年時点)で247兆ドル(約2.7京円)と75兆ドルも増えたのだ。同期間で世界の株式時価総額は52兆ドル増の86兆ドルとGDP(24兆ドル増)の水準に追いつく。株式時価総額とGDPの増加分合計が債務増加額とほぼ同じであるため、債務増加分の7割が株式に、3割がGDPに割り振られたかっこうだ。たまたま数値の一致を見たわけだが、借金によって株式相場が持ち上げられてきた衝撃は伝わるだろう。

債務拡大による景気浮揚は端的に言えば需要の前借りである。買うものがなくなればマネーは資産性のあるものへと向かうほかない。それが逆回転したら、つまり流動性が下がり次第、資産の投げ売りが始まるだろう。そうなると厄介だ。米国は資金の引き揚げを被り流動性は更に減退、米ドルの価値も下がる。ドルの信認が失われると世界は相当に危険な状況に陥る。多くの国が米国の債権者であり、ドルを軸に貿易をしているからだ。かねてから米国は国外の投資マネーを自国の消費力に転換し世界に還流させてきた。それが世界経済の成長を促し、故に米国は世界の中心に君臨する超大国なのである。現在においても流動性が米国経済を支えているという現実は無視できず、その流動性を提供しているのが中央銀行だ。本来ブレーキ役を担うはずの存在なのに。

何故にこれほどまで違和感ある相場なのか。それは、市場が実体経済よりも中央銀行を見ているからだ。コロナショックで一旦はリスクオフとなった待機資産が市場に戻ってきている。二番底狙いの空売屋も持たざるリスクを感じ、また「どうせ中央銀行が支えてくれるから」と麻薬漬けが正当化されている。ゾンビ企業も育った。インデックス運用が大勢を支配し始めたことも原因としてあるだろう。人間もゾンビも彼らには無関係なのである。

今、長期投資家は従来通りに割安局面を待っているだけでいいのか? 長期では個別企業の業績で株価が決まるのは間違いない。しかし短・中期の成績が運用全体(投資家顧客との信頼関係を含む)を構築するなら、成績を追いかけずとも認識は改める必要はある。「長期投資なので」と指を銜えて割安局面を待ち、また旧来型の産業構造を妄信して革新を受け入れないとすれば、それは時代遅れだ。10年後の社会を豊かにする産業とは何だろうか。そこで力を発揮する企業はどこだろうか。生活変容が強制された今、投資変容(投資先の選定基準の再考)もあって然るべきだ。人間的な、不変的なものを未来に育む投資哲学は変えずとも、どの企業・産業がそれを担うのかは柔軟に推論したい。足元の相場は狂っているが、されどそれも真実の姿だ。今はただ、成長企業は将来価値から割り引いた安値を狙い、低成長なれど世に必要であろう企業は暴落時の割安を待つ。そしてそれらの比重を絶妙にコントロールし、期間の長さに関わらず運用成績の安定向上を図るのが求められる最善の対処法だろう。

【2020.6.22記】 代表取締役社長 澤上 龍

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