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かつてデフレに沈んでいた日本にも、いまやインフレがじわじわと押し寄せている。米も野菜も牛乳も高い。都市部に暮らす私たちは、その変化を日々の買い物で実感している。

だが、そもそも「お金」とは何なのか。

身近なはずの存在なのに、経済や金融という言葉が出てくると、急に数字が並び難しく感じてしまう。そんなときこそ、“田舎 ”という原風景に立ち戻ってみたい。

何を隠そう、私はドがつくほどの田舎で育った。野生の猿は友人のような存在で、熊に追われたことすらある(本当に)。そんな土地では、春から夏にかけて山も田畑も緑を深め、命が芽吹いていく。

春になれば、道端にふきのとうが顔を出し、たらの芽が伸びる。初夏には、ぜんまい、あざみ、みず。近所の方から採れたてのアスパラが届く。秋には山でキノコが採れる。かかったコストはゼロ。お金は、いらない。

東京では一皿数千円にもなる山菜が、ここでは自然に生えている。牛乳も、牛が草を食べてつくってくれる。その草もまた、大地が与えたものだ。俯瞰して見れば、都市のビル群を支えるコンクリートの原料、石灰石も元々は地下に眠る自然資源にすぎない。

お金は、どこに消えたのか。

行方を追えば、必ず人の労働に行き着く。自然の恵みは無償でも、それを採り、洗い、運び、売るまでには人の手間が積み重なる。誰かの時間と体力、知恵と工夫。その痕跡が「価格」という形を取る。私たちが支払っているのは、モノそのものではなく、人が動いた足跡なのである。

言い換えれば、お金の正体とは人の労働そのものだ。働くとは、誰かのために価値を生み、経済という循環に自らをつなぐ行為である。近年「金融教育」の必要性が語られるが、教科書より先に働く体験こそが、お金の根源を教えてくれる。

この視点を得ると、金融商品の表情も変わってくる。

金は希少性に、債券は信用に、不動産は立地に価値が宿る。しかし株式は異なる。株とは、人の未来の労働に賭ける証券だ。その企業で働く人が試行錯誤し、社会に新しい価値をもたらそうとする——その営みこそが株価の源泉になる。株式投資は、まだ形を持たない価値に光を当て、未来の成長に参加する手段ともいえる。

お金を貯めることもまた、未来への選択である。消費を先延ばしにして備えを整えることは、いつかの行動を支える準備だ。子の進学、思わぬ病、あるいはふと湧く「挑戦したい」という衝動。そのとき、いまの自分の判断が力になる。

ゆえに、自分のお金がどんな人の働きや意志と重なっていくのか、ふと立ち止まって想像してみる。それが「お金と生きる」ことの本質ではないかと思う。

お金とは何か。

それは、誰かが動いた痕跡であり、動き続けようとする意志である。

その原点は、きっと、田舎の静かな暮らしのなかに、今も変わらず息づいている。

 

【取締役副社長 熊谷 幹樹】

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