駅のホームの長い列が目に入った瞬間、タクシーにすべきだったと心の中でため息をついた。用事が長引き、時刻は帰宅ラッシュである18時過ぎ。この時間帯に生後半年の子を連れて電車に乗ったのはその日が初めてだった。
長時間の外出のせいか、子はご機嫌ななめモードの入口に立っている。このままベビーカーだとぐずり、ぎゃん泣きへとヒートアップしかねない。人との距離が近い中での泣き声は迷惑極まりないだろう。
泣き止ませるために抱き上げてベビーカーを畳もうとするも、荷物を持った片手では上手く力が入らない。
そのうちに電車はやってきてしまった。リュックを背負い片手に紙袋、抱っこにベビーカーという最悪に場所を取る有様で乗車することに。乗り込むと、みなさん何とか場所を空けてくれようと身体をよじる。しかしそのとき、「これは畳めるベビーカー?」と近くの女性に尋ねられ、ああ、やっぱり…と気持ちが沈んだ。
つい先日、ネットで「公共交通機関ではベビーカーは畳むべき!畳まないのは非常識」といった厳しい意見を目にしたばかりだった。「すみません。畳めるベビーカーですが片手では難しくて…」声に最大限の申し訳なさを乗せて謝る。しかしその方は非難するばかりか、「可愛い子やねえ。もし良かったら畳むよ」とにこやかに申し出てくださり、恐縮する私をよそに「いいのいいの」とそのままベビーカーを持ってくれた。どうやら最初から手伝うために声をかけてくれたらしい。近くにいた他の方も「可愛いね、何か月?」と笑いかけてくれた。子も褒められていると分かるのか、まんざらでもない顔をしている。少し離れた所にいる方も、目を細めてこちらを見ているのが視界の隅に入った。面と向かって何も言われないにしても、眉間に皺を寄せられるのと微笑まれるのでは、こちらの心持ちは随分違ってくる。張りつめていた気持ちが和らいでいった。
駅に着き、心からのお礼を伝えて電車を降りる私に、「ママ頑張ってね~」という朗らかな声が背中に振ってきた。その声に改めてお辞儀をし、ゆるやかに滑りだす電車を見送る。思いがけない優しさに触れて、ほんのり熱を持った目頭。思わず子に「この世界にはいい人がたくさんいるね」と呟いてしまった。
ネットではしばしば、小さな子やその家族の言動に対し、攻撃的な意見を目にする。もちろん中には同じ親の立場から見ても、非常識と思われかねない言動をする子や親もいる。が、親になって、子の機嫌等どうしようもないときもあるのだと痛感することになった。しかし、何らかの事情があったとしても、不快に感じる人が一定数いるのは仕方がない。出かける際には、迷惑を最小限にできるよう努めるしかない、と肩身の狭い気持ちだった。
けれど今回の出来事で、ネットでは何かとマイナスなことを見聞きしがちでも、実際には温かい目で見守ってくれる人がたくさんいるのだと改めて気づき、私も思いやりを行動にうつせる人でありたいと思ったのだった。
碧魚 まり
note というSNS でエッセイを書き始めて4 年。いつか文章を書くことも仕事にしたい小学校の先生。食べること、書くこと読むこと、ことばにまつわることが好きな1992年生まれ。

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