
はじめに
本年8月、さわかみファンドの投資先であるテルモ社(以下、同社)が、英 OrganOx社を買収したことが大きな話題となりました。OrganOx社は臓器移植のための機械灌流を行う保存装置を開発しており、主力製品「metra®」は欧米を中心に展開されています。本稿では、移植医療が抱える構造的課題と、機械灌流がもたらす価値について考察します。なお、米国移植医のデヴィッド・ワイル氏の著作「呼吸を取り戻せ」を参考資料とし、現場の視点を補います。

移植用臓器灌流保存装置 metra®
移植医療とは
「移植医」とは、多くの方が想像する医師とは異なり、「“誰”が“いつ”移植を受けるか」を判断する強い権限を持ち、移植の待機リストへの登録から術後の回復管理、長期の経過観察まで一貫して担う専門医です。移植を取り巻く環境は、日本と米国で大きく異なります。
・人口100万人当たりのドナー数:日本 0.88名、米国 44.5名(※1)
・肺移植の平均待機期間:日本 約900日、米国 42日(各中央値)(※2)
・優先基準:日本は原則待機順、欧米では緊急性×成功率のスコア(※2)
・米国の移植件数:年間2.3万件、待機者は11.5万人(※3)
参考資料の「呼吸を取り戻せ」では、移植医療の実態が生々しく描かれています。採算性を求める病院経営、高額医療ゆえ適格性を厳密に審査する保険会社、公的スコアを要求する規制機関に取り囲まれた多職種の移植チームは、毎週「誰を待機リストに載せ、誰を救うか」という、極めて高度で倫理的な意味合いの強い、医療判断を迫られます。医療技術的に救える患者でも、アルコール依存や治療コンプライアンス、家族サポートの不足などで適格性が否定されることもあります。こうした厳しい判断を迫られる移植医にとって、医療側の努力では制御できない“ドナーからの摘出遅延による臓器損傷”といった不確実性を減らすことは、重要な課題となっています。
臓器機械灌流とは
OrganOxの機械灌流は、摘出した臓器に酸素や栄養を含む灌流液を循環させ、生体に近い状態で保存する技術です。最大の利点は保存時間の大幅延長で、肝臓では従来6時間だった保存可能時間が、例えば米国では12時間以上と大きく広がります。また、色や硬さなど目視に依存していた臓器評価が、生理機能の客観的データに基づく判断となることで、従来は移植不可と判断されていた臓器が移植可能となるケースが増え、臓器不足の緩和につながる可能性があるでしょう。さらに、手術スケジュールが柔軟になることで、移植医の働き方や医療チーム全体の負担軽減が期待され、結果的に移植医療体制の効率化や医療費の適正化にも寄与すると考えられます。単なる保存技術の高度化にとどまらず、臓器移植という医療プロセス全体に影響を与えうる点に、この技術の真価があります。
結論
日本では機械灌流の認知はまだ高くありませんが、移植における需給の隔たりや倫理的な葛藤を緩和しうる、革新的な技術と考えます。同社はカテーテル、循環器デバイスなど幅広い医療デバイスを展開しており、今回の移植医療への参入により患者・医療従事者双方へのシナジーが期待されます。もちろん、移植医療は技術だけでは解決できず、患者の適格性やそのコミュニケーション、複数にまたがる関係者との調整といった特有の難しさが存在します。それでも、同社が掲げる、患者さんや医療従事者にとっての「やさしい医療」が、移植という非常に高度な医療領域でどこまで体現できるのか、大きな期待をもって注視したいと思います。
【運用調査部 アナリスト 村瀬 翔】
◆出典
(※1)日本臓器移植ネットワークより(https://www.jotnw.or.jp/explanation/07/06/)
(※2)「わが国における肺移植の現状」 日本呼吸療法医学雑誌・人工呼吸、四十巻二号、2023年(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsrcm/40/2/40_136/_pdf/-char/ja、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsrcm/40/2/40_136/_article/-char/ja/)
(※3)「Reforming Organ Donation in America」、The Bridgespan Group(https://www.bridgespan.org/getmedia/b936ae70-4449-4fbe-a6b7-d5618b9eade2/reforming-organ-donation-in-america-01-2019.pdf)
◆参考資料
テルモ株式会社「OrganOx社の買収」(https://www.terumo.co.jp/system/files/document/2025-11/Presentation_250827_AcquisitionofOrganOxLimited_J.pdf)、「呼吸を取り戻せ――肺移植がもたらす奇跡と悲劇」デヴィッド・ワイル、2025年8月







