
私たちは本当に、自らの手で未来を選べているのだろうか。
2月初旬。
街を走る選挙カーの声は、この国の行方を必死に訴えている。数日後には政権の枠組みが定まり、市場も敏感に反応するだろう。だが、その喧騒を前に、あらためて問い直さねばならない。
私たちは本当に、未来を選んでいるのか。
民主主義という制度について、ウィンストン・チャーチルは、
「これまで試みられた他のあらゆる形態を除けば、最悪の政治形態だ」
と評した。
この制度には、無視できない影がつきまとう。ポピュリズムである。聞こえの良い言葉で票を集める政治は、短期的には国民を酔わせる。だが、中長期的に国を豊かにするとは限らない。
たとえば、財源の裏付けなき減税という「甘い蜜」は、すでに財政難にある日本にとって、将来世代への毒になりかねない。本来、民主主義が「機能する」とは、短期的な人気取りではなく、国の長期利益が守られる状態を指す。
経済が右肩上がりの時代には、分配の余地があり、誰かの取り分を削らずとも合意が成り立った。しかし、成熟し衰退局面に入った社会では事情が変わる。政治はゼロサムの調整装置と化し、票は未来の設計よりも、目先の救済へと傾きやすくなる。
独裁の方が意思決定は速いかもしれない。しかし、民主主義の本質は速度ではない。それは、国民の「成熟度」が問われる制度である。目の前の利益だけを求める票が増えれば、国家の視野は狭くなり、長期の成長戦略は失われる。これは制度の欠陥というより、再選サイクルに縛られる政治の宿命でもある。
ならば、私たちは政治を責めるだけでよいのだろうか。
そうではない。
社会の側に、長期の意思決定を担う「第二の回路」を持たねばならない。
その回路の核となるのが「資本」である。誰が、どの企業に資本を向けるかという選択の積み重ねが、産業の将来を形づくる。その意味で、資本の行き先も、一つの重要な意思決定となる。
では、その資本を、短期の損得ではなく、長い時間軸で未来へと向ける仕組みは、どこにあり得るのか。
ここで私は、直販を貫く「さわかみファンド」と、その先にある「ファンド仲間100万人構想」の意義をあらためて考えたい。
短期的な損得を超え、長期の視点を持つ投資家の意志を、未来をつくる企業へと向ける。重要なのは、単なる資金供給ではない。投資家が「自分の金が、どのような未来をつくるのか」を知り、選び続ける対話のプロセスである。
この構想において、投資家は同時に消費者でもある。ファンドを通じて企業を選び、生活の中でその価値を支える。資本と消費が同じ方向を向けば、企業は短期の数字ではなく、長期の信頼によって成長できる。これこそが、成熟社会における成長の条件だ。
私たちが考える「資本の民主主義」には、三つの条件がある。
長期の視点を持つこと。
実体経済に直結していること。
顔の見える対話があること。
この三つが揃って初めて、資本は「投機」ではなく「意志」へと昇華する。
票で代表を選ぶ政治の民主主義と、
資本で企業を選ぶ経済の民主主義。
この二つが補完し合い、車の両輪となったとき、この国は再び、長い時間軸に立って歩み始めることができるはずだ。いや、私たちが、歩みを進めるのだ。
【取締役副社長 熊谷 幹樹】
歴史に学び、未来を見る。
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