

半年ほど前から、地域の子ども食堂で配膳の準備をしたり、子どもたちの宿題を見たりしている。数年前、小学校で働く中で、「放置子」と呼ばれるような子どもたちの存在を知った。家庭でも学校でもない「第三の居場所」があれば、彼らの寂しさは少しでも紛れたのだろうか。そんな疑問から、子ども食堂の活動に興味を持つようになった。

正直に言えば、子ども食堂のことをきちんと知る前は、「困窮家庭が食のサポートを受ける福祉的な場所」という認識だった。しかし、子ども食堂に関する書籍を読んだり、実際に通ってみてその考えは改められた。何より大切なのは、誰にでも門戸を開いていることだ。もし、「あの子は子ども食堂に通っている」と色眼鏡で見られるような場所であれば、本当に支援を必要とする親子ほど足が遠のいてしまう。経済的な理由だけでなく、居場所やつながりを求めるなど、様々な家庭に必要とされているのだと実感した。
大きな鉄板で初めてホットケーキを自分で焼き、「上手くひっくり返せたよ!」と笑う子、近所の農家さんから届いた大きな冬瓜に「冬瓜ってはじめて見たなあ」とそっと触ってみた子。ここは、単に空腹を満たす場ではなく、豊かな「食育」の場でもあるのだ。
経済的事情あるいは保護者の働き方の変化により、全国で子ども食堂の需要は高まり、数も増え続けている。一方で、資金難で運営が立ち行かなくなるケースも少なくはない。公的な支援の拡充を求める声はもっともだが、今この瞬間にも居場所を必要としている子どもたちはそこかしこにいる。イギリスに住む友人に、スーパーに寄付用食品の回収ボックスが設置されていると聞き、なんて素敵な取り組みなのだと感銘を受けた。できる人が、できることを少しずつ。「子どもたちのために」と立ち上がった人々を支える仕組みが不可欠だ。一人ひとりの支援は野菜一つ分の少額であっても、その輪が大きくなれば可能性は広がってゆくだろう。

私自身、一年ほど前に母となった。今後フルタイムで働くとなると、我が子が小学生になったとき、がらんとした家で一人、親の帰りを待つのだろうかと想像すると、きゅっと心が縮む思いがする。週に一度でも、信頼できる大人や友人と温かく過ごせる場があれば、どんなに心強いだろうか。
かつて、子どもたちは地域の多くの大人に見守られ、時には叱られながら、逞しく育ったという。「そういえば、あの話どうなったの?」と気にかけてくれる大人が親や先生以外にもたくさんいること。それは子ども時代における何よりの財産だ。令和の世において、子ども食堂はかつての「地域コミュニティ」を今一度再発見する場となっているのかもしれない。

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