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先頭を走るから規制が後追いしてくる

 

 新しいものを産業としてつくるというのは規制との戦いにもなると思います。そのあたりのご苦労、監督官庁である厚労省と暗中模索を切り拓いていく中で一番印象的だったことは何でしょう。

 山のように話はありますが…。火傷治療用の培養表皮「ジェイス」のお話しをします。

こ の「ジェイス」は今でこそ良きパートナーとなった厚労省、PMDA(独立行政法人 医薬品医療機器総合機構)との戦いの歴史の中で生まれた製品です。起業する時には、皮膚の培養はご本人から受け取り、それをご本人に返すだけなので、薬事 法の適用外のサービス業で良いと言われていました。ところが蓋を開けてみると結局は薬事法を通すということになり、色々なルールが後追いで作られました。 まさに「話が違う」という状況です。誰かが先導すると規制が後追いで来る。これには見事にぶち当たってきました。

 日本の保険診療制度が壁として立ちはだかったと伺いましたが、どのような状況だったのでしょう。

  わが国には医療財源枠に限りがありますし、これまで無かったものに値段をつけるにしても基準がありません。事業化への審査は厳しく、値段を設定するところ は更に厳しいものでした。保険適用に関しても、枚数の制限や使用に当たっての施設の基準、そして全身の30%以上の火傷を負った重症の方が適応といった条 件が設定されました。 当初は20枚までしか保険適用はされませんでした。でも20 枚だと患者様は救えない。医療業界の人間として、保険適用外では事業として難しいと分かっていたので、果たして20 枚で打ち止めにするかどうするのか非常に悩みました。 結局、目の前の患者様を救うために必要な枚数、施設基準を超えて提供したところ、初年度生産した皮膚のうち保険適用されたのは出荷の4割でしかありません でした。

保険が適用できない分は人道的観点から無償で提供していたので、採算が厳しいと考えジェイス事業からの撤退も考えました。上場直後 のことです。厚労省にも「せっかく承認していただいたのですが止めます」と仁義を通しましたが、厚労省も困っていました。ところが取締役会で撤退を決める 際に、社外取締役が待ったをかけました。「君たちの目標は100年後を見据えた産業化だ。もう少し頑張ってみろ!」と諌めてくれたのです。そんなやり取り が何度もあり、続けてみた結果、昨年度は8 億円の売上まで成長しました。テーラーメードの製品で8 億円を売り上げるというのは結構大変でして、やはり続けて良かった、止めなくて良かったと思いますね。

 特に重症熱傷の場合は培養している途中で亡くなられてしまうこともあると思います。命を助けるには無償の部分も多くあったと思います。

でもそれによって御社でしか助けることのできない命もあったのではないですか。

  原則、医薬品・医療機器メーカーは患者様と直接コンタクトを取ってはいけないというルールがあります。しかし、初期の頃は特にお子様を助けるケースが多く 有り、その時には当社を訪ねてこられたこともありました。重度な火傷では人の記憶に残る事件だったりしますので、記者が追いかけることもありました。私達 のやっていることは未知の領域で先導する人がいません。本当に救命に役立つのか、本当に肌を綺麗にできるのかという前例がありません。だから医療現場がく れといったらそれに従うということにしています。経験則はないので、模索しながらもまずはユーザーニーズを満たすことで実績を積み重ね、製品改良のイン プットとなったり、世論形成のインプットとなったり、そんなことの連続です

 

成長戦略のど真ん中に来た再生医療

 

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 今は厚労省とも良好な関係ということですが、再生医療という産業を国が認めたというのは大きいのではないでしょうか。

  大きいですね。当社は創業して16年が経過しましたが、規制当局との良好な関係、追い風が吹いたのはここ2 年です。それまでの14年間は逆風がビュービュー吹いていました。この2 年で大きく風向きが変わったのはやはり政治の力です。国の施策として再生医療を成長戦略のど真ん中にもってくる。政治判断として当時の政権が後押ししてく れました。また、iPS 細胞でノーベル賞を受賞された京大の山中先生と「再生医療は産業になってない」と経産省が後押ししてくれたことも大きかったです。山中先生がいなければこ こまで再生医療の風は吹いていなかったと思います。おかげでわが国に再生医療を推進する法律ができ、日本は海外からも注目を浴びています。これまで医療業 界はアメリカで承認を取り、ヨーロッパで取り、後で日本に持ってくるという流れでしたが、まず始めに日本で承認を取ろうという動きがでてきました。今まで の14 年間の逆風はなんだったのだという感じですね。おかげ様で私達は生き延びましたが、その間も他社はどんどん潰れていきました。

 サービスを拡大する中で規制と格闘することはありますが、御社は規制を作らなきゃいけない立場にもなりました。人道的な判断とかグレーゾーンを考慮しながら、産業として成り立たせていくためのコミュニケーションは難しかったのでは。

  ヤマトの小倉社長を研究しました。私も以前は役所に喧嘩を売っていましたが、後に反省しました。過去があるから良好な今の関係がある。起ち上げたばかりの 頃、5回くらい会社が潰れそうな時がありましたが、その時もやはり規制がキーでした。「J-TEC はもう来ないでくれ」と厚労省から言われるほどしつこく訪問したこともありました。この頃ちょうど潮目が変わる時だったのですが、どうみてもアゲインスト な風や濁流が流れている。同業者の多くは、濁流に飲み込まれていました。私はリスク回避に必死でしたが、こんなに皆が流されているとリスク回避どころでは ない。濁流にジャバジャバと入ることを決めました。門前払いを喰らっていましたが、熱意というか何というかは分かりませんが、ある程度実績をともなった当 社のメッセージが規制当局の皆さんに伝わったのではないでしょうか。

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