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それは壁であり、蛇であり、樹であり、扇であり、そしてロープである。評価する各々にとっては正しく、しかし本質を見誤ってしまうのが“ 群盲象を評す” という諺だ。“ 木を見て森を見ず” とも表現できるが、つまり物事を多面的に捉える重要性を説いている。

この直喩は何にでも当てはまる。例えば情報だ。瞬間的な情報だけでは誤った判断に陥る可能性が高い。その情報の脈絡というか、背景を捉えてこそ“ 情報”は生きる。情報が変化の兆しだとするなら、実態がどの方向に進むのかを思考すべきなのだ。また人を評する時も同様だ。出世レースに勝つために対抗馬の悪い噂を流して排除を試みるなど。噂を聞いた周囲は該当者を蔑み、その結果、決裁者が該当者を遠ざけるか、または該当者の心が折れるまで流言は続く。

株式投資はたちが悪い

物事の一面で判断され、直接的な影響を被る代表例が株式投資だろう。数多の思惑を持つプレーヤーが参加する株式市場は、該当する企業の評価も様々となる。そしてそれらの評価すべてが株価に直結し、更には経営方針を変えることすらできてしまう。嘘から出た真がまかり通るというべきか、真実の如何に問わず外部評価が結果を齎(もたら)すというべきか。

それゆえに企業は化粧=粉飾決算をしてしまうこともある。先の出世争いのケースでは他人を蹴落とすという行為がもっとも簡単な方法だが、企業の場合はそうはいかない。嘘をついてでも“ 自ら” を良く見せる必要があるのだ。そう考えると、外部評価が本質を捻じ曲げ、そのような外部評価を上げるために嘘をつく流れの中に、一つも本質がないことが分かる。

 

だから長期投資を!

評価は人の手に委ねられているが、“ 真実” と“ 時間” は誰にも支配できない。物事が常に本質回帰するのなら、時の審判に耐えられるだけの“ 時間” さえあれば、当事者たる者は真実を曲げずに突き進むことができる。短期投資家にとっては値動きこそ真実であるため、企業(株価)に本質回帰する猶予を与えないだろう。他方で自らの財産のみならず経済・社会の発展を望むならば、企業の成長を待つ必要がある。それが長期投資だ。長期投資家は待つだけでなく、当事者たる企業を応援することで成長を共に歩むこともできる。

多面的に見、そして本質を見抜く力が試される長期投資。しかし本質は評価者の中にあるのかもしれない。どういう社会で過ごしたいのか。どういった企業を応援したいのか。人事闘争においても他人と接する時も、自分自身の想いや方向性を大切にすれば象を象と見ることができるのだろう。そしてその時、象は象として生きられるのだ。

【2023.2.22記】代表取締役社長 澤上 龍

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