プリンシプルなき金融業界

不正が後を絶たない。大企業の会計不正に次いで、地銀の融資に関する書類やメーカーの品質データ改ざん等、日本企業の不正が露呈しはじめている。特に、“ものづくり”で名を馳せた日本が技術における不正で信頼を失いかけていることはなんと悲しいことか。企業だけの問題ではない。政府も不正をし、目を海の外に向ければ自動車メーカーの排ガス不正、経済統計を粉飾する国家的な不正も存在する。不正は今に始まったものでもなければ、誰にだって魔がさすこともある。なぜ不正をするのか。トップ層の業績への執着、その要求のために発生する現場の甘え、余裕のなさ、様々だ。しかしいかなる理由があろうとも、不正は社会を裏切る行為であり許されるものではない。

不正企業の債券を日銀が買ったとの報道には驚いた。財務悪化の懸念から債券価格が下がるのは当然で、以後の資金調達が困難になるのは犯した不正の代償であろう。しかし中央銀行の介入により不正企業のペナルティは軽減された。債券保有者である投資家の救済を兼ねたのかもしれないが、この行動はいかがなものか。企業にも投資家にも甘えを生じさせるだけだ。矢継ぎ早に実施が予定されたメガバンクによる協調融資も同じ。信用不安に陥るのを回避することを目的に、借り換え困難となる企業の社債の償還費用を都合した。併せて最近、不正への賠償支払いの備えとして融資額が積み増された。銀行が債権の取りっぱぐれを回避するための延命措置か、それとも地銀など他の貸し手の不安を鎮めるためのことか。資本市場の健全性を保つといえば聞こえはいいが、債権者または投資家は事故にあったと観念すべきだろう。不正を犯した企業で働いている従業員、取引先などがペナルティを連帯させられるのは極めて迷惑な話だが、真に社会に必要な企業であれば、健全な企業に買収されて事業は継続されるはずだ。

暴落した不正企業の社債に投資家も群がる。ゼロやマイナスのような金利で運用難に苦しめられていた生保や年金などの投資家にとって、少しでも高い金利に資金を振り向ける選択肢は運用上致し方ない。他方で、彼らは流行りのESGやスチュワードシップ・コードなどに躍起になっているのはどういうことか。ESGは健全な企業に投資し世の中を変える手段の一つであるし、スチュワードシップ・コードもまた企業価値向上のための対話のはずだろう。不正企業の救済や見境のない投資機会の獲得と相反し、声高に進む社会的活動も顧客獲得のためのマーケティングと感じてしまう。そこに金融機関のあるべきプリンシプルが見えない。

かつて、某金融機関が株価と株数を逆に発注するというお粗末な事件があった。一瞬の出来事とはいえ、極端に低い株価に群がった投資家が大きな利益を上げたのは言うまでもない。その後「美しくない」との発言から協調救済案が飛びだした。真剣勝負を行うスポーツの世界であれば、相手のミスであろうと点を取り、誰もやり直しを要求しない。無論、不正を犯せば即レッドカードだ。資本市場は真剣勝負の場ではなかったのか。