
「タガワさん、なくなっちゃったの?」
久々に会った母に私はそう尋ねた。「タガワさん」は人ではなく、最寄り駅前の本屋だ。久々に寄ってみると、薬局に替わっていて驚いてしまった。正式名称は「タガワ書店」だが、みな親しみを込めて「タガワさん」と呼んでいた。
「今更何を言ってんの、随分前よ」母は呆れたように笑う。
小学生から大学生まで、あらゆる文房具や本をここで買った、随分とお世話になった場所だ。いつも柔らかな笑顔の、眼鏡が似合う黒髪ショートヘアの店主さん。たとえ赤鉛筆一本であっても、丁寧に紙袋に入れてくれ、子ども扱いではなく一人のお客さんとして接してくれることが、照れくさくもうれしかった。「タガワさん」を思い起こすとき、同時に彼女の姿が浮かぶ。
そんな親しみを覚えるお店だったのにも関わらず、年齢が上がるにつれて足が遠のいた。ネットで買う便利さに気づき、本屋で買う機会が減ってしまったのだ。
先日、町の本屋存続の危機に関するニュースを目にした。「タガワさん」も経営が厳しかったのだろうか。かつてのお店の前を通るたびに、今はもう存在しない「タガワさん」に想いを馳せ、少し胸が痛む。あの笑顔の素敵な店主さんは、今どうされているのだろう。
馴染みのお店がずっと変わらずそこにあると思っているのは、客側の思い上がりだ。店も、風景も、私たちの選択によって刻々と移ろってゆく。

それからしばらくして、ある本屋を見つけた。そこも個人書店で、広さがない分、じっくり本棚を吟味することができる。ついつい頁をめくり、時間が溶ける。そして、店主さんとちょっとした雑談に花を咲かせる楽しみ。
ここに来るときは、大きなリュックを背負って赴く。何かのついでじゃない。本屋に行くために出かけるのだ。
行けば、気持ちが高まる。いつ行こうと心に思い描けば、日常をもうひと踏ん張りできる。そんな場所があることのなんて豊かなことだろう。お気に入りのお店が姿を消してしまうのは、大切な居場所を一つ失うようでさみしい。やっぱりそんな場所はできるだけ長く続いて欲しい。お店が成り立つのは、どれだけ売り上げがあったか。直接一人の客としてできることは、そこでお金を使うこと。それ以外にない。
買ったあらゆる本が紙袋の中で重なる。その重量感は、「幸せの重み」に他ならない。帰り道、夫と「本を買うときはここで買おう」と言い合うのはもはや恒例だ。
部屋から一歩も出ずにスマホ一つで何でも手に入るこの時代に、わざわざ足を運び、買うこと。何を買うかだけでなく、どこで、誰から買うのかを選ぶということ。お金を使うことには、きっと効率以上のものが内包されている。私にとっていつものお店でお金を使うことは、できるだけ長く続いて欲しいという「応援」であり「祈り」だ。
ちなみに何の因果か、この本屋の店主さんもまた、黒髪ショートヘアで眼鏡の方である。

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